1分で分かるマルタ騎士団

日本人の語学留学先として人気な、地中海に浮かぶ島国、マルタ共和国

首都はバレッタで、人口は約40万人。言葉はマルタ語と英語が話されており、通貨はユーロです。

この島にはかつて、聖地回復を願い、異教徒と戦い続けた誇り高き騎士団がいました。

その名も、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)。

今回は、1000年にも及ぶ、マルタ騎士団の戦いの歴史を振り返ってみましょう。

流浪の騎士団

マルタ騎士団は、第一回十字軍が奪還した、聖地エルサレムにて結成されます。結成当初の任務は巡礼者の保護だったそうで、医療活動などを行っていたとか。

しかし、聖地回復を狙うイスラムの攻勢は強まるばかり。そのうちに、騎士団は「聖地の守護者」と呼ばれるようになりました。

しかし、イスラムとの激戦の末、遂に聖地エルサレムを失ってしまいます。以降、キプロス島・ロードス島と続いて拠点を失い、騎士団は流浪の身になってしまいました。

新本拠地・マルタ島

拠点を失った流浪の騎士団は、一時、シチリア島に逃れていました。そんな彼らに目を付けたのが、イスラムの増長を憂うローマ皇帝でした。

皇帝の斡旋を受けて、シチリア王は騎士団へのマルタ島の貸与を決定します。マルタ島の賃貸料は、毎年1羽の鷹を献上することだったとか。

態勢を立て直した騎士団は、イスラムへの攻撃を再開します。

マルタ島・大包囲戦

1565年5月、宿敵・オスマン帝国は、5万人の軍勢でマルタを襲撃します。

これを迎え撃つは、騎士団長ヴァレットが率いる6千人(騎士団員500人)。

戦闘は凄惨を極め、北のゴゾ島では島民の大半が捕まり奴隷にされたそうです。マルタ騎士団は、騎士・兵士の約5/6、またマルタ島は住民の7,000人強を失ったとか。

しかし、マルタ騎士団の頑強な抵抗の結果、9月に入り、遂にオスマン軍が撤退します(この日は、現在でもマルタでは「勝利の女神の祝日」に指定されています)。オスマン帝国にとっては、16世紀初の敗北だったとか。

騎士団長ヴァレットにちなみ、現在のマルタ共和国の首都である要塞都市・ヴァレッタが建設されました。

そして伝説へ・・・

その後、騎士団はマルタ島の支配者階級として扱われ、島にはしばしの平和が訪れます。

しかし、1798年、天才・ナポレオンが、大軍勢を率いてマルタを攻撃します。

マルタ騎士団は、衆寡敵せず降伏。マルタ島は奪われ、騎士団は再び流浪の身に。

騎士団が最後に落ち着いたのはローマで、そのまま現在に至ります。騎士団は、現在も超国家的存在として、国連にオブザーバー参加しているとか。

現在、騎士団の構成員に日本人もいるらしいです。

番外編 騎士団トリビア

下の写真のマルタ十字は、マルタ騎士団の紋章ですが、今でもマルタのシンボルとなっています。

十字の「8つの剣」は、騎士道における「8つの心得」を表しているとか。

騎士団の修道教会「聖ヨハネ大聖堂」は軍事要塞でもあり、大聖堂には、騎士の出身地ごとの「8つの礼拝堂」があるそうです。

騎士は出身地ごとに騎士館長(戦時は部隊長)が統括し、さらに騎士館長(部隊長)は騎士団長(グランド・マスター)が統括していたそうです。

なんとも中二病心をくすぐるマルタ騎士団。ヨーロッパ旅行を検討されている方は、是非ともマルタも選択肢に入れて頂ければと思います。

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