泣けるコピペ「ある阪神の選手が引退を決意~」の選手は誰なのか

ネットで「泣ける話」や「感動する話」などのまとめを見ていると、たまに下のコピペを見かけます。

【最後はパパ、ホームラン打ってくるよ】

ある阪神の選手が引退を決意
引退試合には一打席だけ立たせてもらえることになった
愛する娘に「パパ頑張ってくるよ」と言うと
まだ幼いその娘は「パパはどうしていつもホームラン打たないの?最後にパパのホームランが見たいよ」と言った
その選手は所謂二番打者タイプでバントや流し打ちなど繋ぐバッティングを期待されていた選手だった
だからその娘は、ほとんど父親のホームランを見たことがなかった
それに気付いたその選手は「分かった。じゃあ最後はパパ、ホームラン打ってくるよ」と娘に言い、試合に臨んだ

そして試合中、ランナー一塁の場面でその選手に打席が回ってきた
いつもより大きくバットを構える
相手投手も、ど真ん中にボールを投げる

そしてその選手は…………バットを構え、送りバントをした。

ランナーは二塁に進み、犠打の記録がつく
その選手は笑顔でヘルメットを掲げ、甲子園球場の声援に応えた
最後の最後まで自分のスタイルを貫いたその姿に、ファンも割れんばかりの拍手を返した

そして試合終了後、娘のもとによると、
その娘は約束を守らなかった父親に文句を言うこともなく
涙を溜めながら、笑顔でたった一言。

「パパ、お疲れ様、大好き」

・・・

このコピペを見て、この「ある阪神の選手」とは誰だろう?と思った方も多いのではないでしょうか。

答えから書きますと、この選手は、1985年のV戦士の一人・平田勝男さんだと思われます。

平田勝男さんとは

平田勝男さんは、1981年のドラフト2位で阪神タイガースに入団。

大洋ホエールズとの抽選の結果、阪神が引き当てたそうです。

BBM2013 タイガース・レジェンド MEMORABLE NINE 1985 100枚限定パラレルカード No.MN6 平田勝男

入団後は内野手として活躍し、中西清起投手・木戸克彦捕手と「NHKトリオ」と呼ばれました。愛称はミッキー

実働期間は13年で、979試合、633安打、23本、220打点、打率.258。

犠打は138。冒頭のコピペからはバント職人のような印象を受けるため、やや少なく感じられるかもしれませんが、1試合最多犠打(4本)の日本記録保持者の一人です。

なお、平田さんはバント職人というより守備の名手として広く知られていました。

応援歌は「ああ蝶が舞い蜂が刺す 魅せる男 平田勝男 絵になる男 頼むぞ平田」でしたが、この「蝶が舞い蜂が刺す」は、かつて吉田義男元監督の華麗な守備を評した言葉だったそうです。

最近では大和選手が記憶に新しいですが、たまに阪神に現れる内野守備職人の系譜ですね。

下の動画では、掛布雅之さんが、平田さんの守備位置の深さ、広島の菊池選手との類似点などをコメントされています。

平田選手の引退試合

さて、それでは、冒頭のコピペが生まれた平田さんの引退試合とは、どのような内容だったのでしょう。

その試合は、1994年10月1日の広島戦。スタメンは以下でした。

  1. 亀山(右)
  2. 平田(遊)
  3. 和田(二)
  4. オマリー(一)
  5. 石嶺(左)
  6. 新庄(中)
  7. 鮎川(三)
  8. 山田(捕)
  9. 藪(投)

当時、2番ショートのレギュラーは久慈選手でしたが、引退試合だから平田さんが先発出場だったようですね。

1回表、広島の攻撃、一死満塁のピンチからゲッツーを取ってチームを救ったのは、平田さんだったそうです。

そして1回裏、今度は阪神が無死二塁のチャンスを作り、2番・平田さんに打席が回ります。

現役最後の打席ということもあり、当時の中村勝広監督のサインは 「打て」だったとか。

しかし、1点ビハインドだったこともあり、平田さんは自身の判断でバントを敢行

バントは見事に成功し、オマリー選手による同点打につながりました。

この現役最後の瞬間までフォア・ザ・チームに徹した平田さんの姿勢は、長く語り草となりました。

もう一つの平田さん関連コピペ

なお、以下のコピペも、この平田さんの引退試合を題材にしています。

【有終の美】

1994年10月1日、阪神-広島戦。彼は生涯最後の打席に立とうとしていた。
平田勝男内野手。阪神優勝時の貢献者であり、唯一無比の送りバント名手でもあった。
その彼も、よる年波には勝てず、この日を最後に引退となった。

彼は前日の記者会見で「息子が野球やってても、僕がいつも送りバントばっかりだから、送りバントしかしないんですよ。最後なんでね、明日くらいはお父さんがちゃんと打ってる姿を息子に見せたいと思ってるんですけどね。」と言って照れくそうに笑った。

彼の最終打席は1回裏。その前の回には満塁のピンチを併殺でさばいて調子は絶好調だった。
彼が生涯最後のバッターボックスに立つ。ノーアウト2塁。定石通りならここは送りバントだろう。
しかし彼は前日、息子に打つ姿を見せてやりたいと笑顔で言った。コーチも「思い切り打って来い」そういって彼を送り出した。

初回のここで先制点ならピッチャーは楽になる。ホームランならなおさらだ。
彼はバッターボックスでバットを構えた。

観客席には家族や息子も父の最後の勇姿をこの目に刻もうと見つめている。

そして彼は見事に決めた。
彼が人生を賭した野球その引退試合という大舞台で彼は見事にやってのけたのだ。

それは彼の野球人生の中でおそらく一番と思える絶妙な送りバントだった。

平田さんコピペの考察

二番目のコピペと冒頭のコピペとを比較すると、「娘」でなく「息子」、かつ平田さんが登場した時のランナーも「一塁」でなく「二塁」など、微妙に内容が異なっています。

二番目のコピペの方が事実に近いですが、平田さんの引退試合は1回裏の時点で1点ビハインドだったので、「初回のここで先制点なら~ 」の箇所は創作です。

※ なお、引退試合のスコアボードは下の通りでした

結論としては、平田さんの引退試合を元ネタに、二番目のコピペが作られ、さらにそれを改変して冒頭のコピペが作られた感じですかね。

なお、この平田さんの引退試合のエピソードは、日テレの番組「人生が変わる1分間の深イイ話」でも取り上げられたことがあるようです。

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なお、平田さんは現在、阪神の二軍監督をされています

平田二軍監督には、現役時代同様、阪神の縁の下の力持ちとして、今後もチームをサポートして欲しいものです。

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