夭折の天才・貴志康一の曲について(竹取物語など)

貴志康一(きし・こういち)という音楽家をご存知でしょうか。

歴史上、夭折(ようせつ)の天才と呼ばれる人は数多くいますが、この人も間違いなく、その種の人です。

「竹取物語」

まず、こちらの5分強のヴァイオリン曲の動画をご覧になり、気に入るようでしたら読み進めて頂ければ幸いです(演奏者は松本克巳さんという方です)。

・・・いかがでしたでしょうか。私はこの竹取物語という曲を聴いて、貴志康一なる音楽家に非常に興味を持ちました。

1933年に作曲された曲だそうですが、令和の現在でも和楽器バンドなどで演奏されてもおかしくないくらい、クールで味のある曲だと思います。

なお、この曲は、湯川秀樹博士が1949年にノーベル賞を受賞した際に演奏され、一躍有名になったそうです。

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貴志康一の生涯

貴志康一は1909年(明治42年)3月生まれ、出身は大阪・吹田市です。豪商の長男として生まれたそうですが、日露戦争の終結が1905年、第一次世界大戦の開戦が1914年なので、激動の時代に育ったものと思われます。

16歳で天才ヴァイオリニストとして注目され、17歳でスイスのジュネーヴ音楽院に留学、19歳でベルリン高等音楽学校に入学。欧州と日本を往復しながら、バイオリンのみに止まらず、指揮・作曲の方面でも才能を発揮しました。

その活躍ぶりたるや、なんと25歳で、自作曲をベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏させ、自ら指揮したそうです。

貴志康一と音楽の近代 ベルリン・フィルを指揮した日本人 [ 梶野絵奈 ]

さらに、映画にも関わっていたそうです。「鏡」と「春」という作品を作ったようですが、いずれも監督・脚本・音楽を担当、「鏡」では自ら出演もしているとか。まさに芸術のマルチプレイヤーですね。

1935年に日本に帰国した頃は、舞台上の貴志康一をみようと若い女性が押し寄せるくらいの人気だったようですが、虫垂炎をこじらせてしまい、2年後の1937年に腹膜炎で亡くなりました。なんと、弱冠28歳での他界でした。

なお、『荒城の月』などで有名な瀧廉太郎は、1903年に23歳で死去しています。海外では、27歳で早逝した天才ミュージシャン達が27クラブと呼ばれていますが、貴志康一や滝廉太郎は日本版27クラブと呼んでも良いのかもしれません。

兵庫県神戸市に、甲南学園(中学・高校・大学)という学校がありますが、こちらは貴志康一の出身校であり、今でも偉大なOBとして偲ばれてるようです。貴志康一記念室という施設があり、外部者でも入場可能なようですね。

他の楽曲

こちらのページに、貴志康一の代表作品がまとめられています。

そのうち数曲をYouTubeで聴くことができますので、こちらに載せておきます。どの曲も、そこはかとなく懐かしい感じの日本的な曲調です。

交響曲「仏陀」

全4楽章。仏陀(ブッダ)とはすごいタイトルです。記念コンサートなどでよく演奏される定番の曲のようですね。

日本組曲

6曲で構成されており、下の動画は「道頓堀」という曲。阪神ファンが喜びそうなタイトルです。なお、「花見」という曲では「さくらさくら」の旋律が、「戦死」という曲では「君が代」の旋律が出てくるそうです。動画がなくて残念。

日本スケッチ

市場・夜曲・面・祭という4曲で構成されています。海外向けに日本を紹介するような感じの曲です(「日本スケッチ」なので、実際そうなのかも)。

ヴァイオリン協奏曲

全3楽章。ヴァイオリンが超カッコイイ。これは是非とも実際に演奏会で聞いてみたいです。

おわりに

以上、貴志康一という音楽家についてご紹介しましたが、2019年は貴志康一の生誕110周年にあたります。

2019年9月には芦屋市で記念事業が開催されるなど、記念コンサートや記念番組などが催される可能性が高いと思われますので、貴志康一のにわかファンとしては、念入りにチェックしていきたいと思います。

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